『引く人も引かれる人も水の泡の浮世なりけり淀の川舟』黄梅院の大綱和尚が詠んだ歌が文様となっています。京都・大阪を流れる淀川で、舟を引く人と引かれる舟が描かれている絵です。茶碗としては、いつ使っても良いものでしょうが、蓑を着た三人が舟を引っ張る絵柄なので梅雨時の頃、教室では6月に使われることが多いです。同じ意味で、9月の時雨時にも良いとのことです。また、舟にこんもりとした荷物が描かれていたり、金屏風に描かれていたりすると、宝船を連想させるため年末年始にも使われたりする道具です。
私はこの茶碗を見ると、なぜかシンッとした気分になります。たぶんそれは、淀川が千利休の蟄居(ちっきょ)のために堺に下った川だからだと思います。豊臣秀吉の怒りをかって、千利休が蟄居(ちっきょ)する時に淀川を下りました。見送りなど誰もいないはずだが、弟子の細川忠興と古田織部がひそかに見送りに来ていました、ということを本で読んだことがあります。
この茶碗を見ると、淀川の広さと舟に乗っている利休、そして舟の外で利休を見送る二人の弟子古田織部と細川忠興の切なさまで感じてしまいます。舟に乗っているすぐ目の前に死が迫っている利休。舟の外にいる弟子もまた、茶道というこの時代厳しいものを選択した辛さ。どちらも浮世です。はかない世の中だなと詠っているように感じてしまいます。
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