茶道は着物を着ないと始まらない。この時代、洋服でというのも有りかとは思うが、茶会の時は気合いが入らない。
「縛解一如」という言葉がある。和装で使う言葉です。
「身体の一部を縛り付けることで、むしろ身体が解きほぐれて力が発揮できる」という意味です。お相撲さんの回しや、お祭りの時の捻りはちまきがこれです。
男性の着物は、腹帯一本で締めて着ています。丹田で帯を締める。きつく締めすぎてもダメだし、緩すぎても着崩れてしまう。きちんと締められると、意識が集中して、落ち着きが生まれる。
茶道は着物で、という意味はまさにこれだと思う。亭主側は着物を着ないと、意識が集中しない。
客側は、着物を着付けることで緊張感が生まれる。緊張の中で席入りした茶席に寛ぎや楽しさを亭主と共に求める。
茶室に緊張感がなくなったら、ただの喫茶店になってしまうなと思っています。
亭主と客お互いで緊張感を作り上げ、そして徐々に寛ぎの場所にする。そして、楽しさを見いだし心が解放され自由になる。そんな場所に私の茶会がなっていたらうれしいです。
自由とは何か。「ご自由にどうぞ」という言葉ほど難しいことはない。自由ってどういう状況なのか。「ご自由にどうぞ」は「ご勝手にどうぞ」ということではない。心が自由になるためには、心を箱の中などに入れてから解放しないと自由とは言わない。
これを茶道にあてはめると、茶道という決まりごとの型に自分を入れる。入れてから徐々に自分を解放する。ここではじめて茶室の自由を満喫できるのかもしれない。