茶のあり方について述べている文章を見つけた。
茶には四つの形態がある。
第一は、「修行」としての茶。これは茶道とは茶の道であるということ。長い年月をかけて身につけ自分のものにするということ。単なる茶飲みではなく、茶道を通して心を鍛えていることです。
第二は、「社交」としての茶。戦国時代から始まった茶は、数々の政治的密談を茶室で繰り広げてきたことと思う。政治的な話をしなくなった今でも、茶道具を観賞しながら道具が作られた土地のこと、使われる季節のことなどを正客と亭主で会話しあう。
第三は、「儀式」としての茶。献茶式や利休忌、茶筅供養などがこれらに含まれるのだと思う。
第四は、「芸術」としての茶。掛軸から始まり、茶入や水指、茶杓にいたるまですべての茶道具を芸術として地位を押し上げ、それらを使い観賞することにより、茶室の世界観を作っていく。道具だけでなく、茶道そのものを芸術として成り立たせてきました。
「修行」「社交」「儀式」「芸術」これらの四つは全く相容れないもの様に思われる。しかし、相容れないものを受け入れる厚味が茶にはあると言っています。相容れないものを組み合わせて止揚する。そこが、茶道人の腕でも器量でもあると。割り切らない処に茶の妙味があると。
茶道を習いにくる方も色々で、伝えたいことが伝わらないもどかしさを感じたり、覚えられないことに一喜一憂したり。茶室の雰囲気を上手く操れなかったり、毎日のことだけに上手く行ったり行かなかったりの繰り返しではあります。この文章をよんで、昔の方も悩み、そして積み重ねてきているんだと励まされた次第です。
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